少しメンタルが弱ってる
今月はちょっとメンタルが弱る出来事が多いな。毎日繰り返していく中であまり自分のスタンスがゆさぶられないような生活スタイルを確立しつつあると思ったんだが、仕事もいつもと違うことをやっているせいなのか、今ひとつ乗らない
学びも当然ある中ではあるのだけど
子供に関することで色々下調べしてある程度方向性をもたせてきたことが情緒的なもので一蹴されるとすべての検討を投げたくなる
自分のすべてを放り投げてしまいたいと、こんな歳になってもまだ思うことが僅かでもあるのだから、これは20年後くらいになってもそういうこころもちになる事があると覚悟しておいたほうが良さそうだ
まあ子供の人生は子供が決めることなので、環境を決めることに関しては親が自由と責任を負い、あとは子供が好きにしたらいいともう
子供が自主的に判断できるまでは親がすべて決める。それは仕方のないことだ
でもさすがに18歳になったら自分のことはある程度自分で練れるだけのリテラシーは授けていきたいと思う。親は金づるでいいよ
しかし、疲れたな
人生ってのは目的を定めておいてあとはどう合目的的になるかってことが一番大事で、どこにゴール設定するかをちゃんと意識する生活をきちんとしたほうがええんや
子供は大事だけどいずれ家からいなくなる存在だし、ほとんどすべてのものは自分たちを通り過ぎていく そこをどう楽しくしていくかというのもあるけど、通り過ぎるものに過大な時間をベットしすぎるのはよくない、常にバランスを意識して
仕事のこと 趣味のこと 家族のこと 勉強のこと
自分が今大事にしなければいけないものをきちんと優先順位をつけて
追記 ほんとにさぁ 色々逡巡しているうちに後悔する暇もないなとおもったら、いつのまにか離れていくんだろうな ベストを尽くそう いや、これがベストなのだろう
後悔は少なめに whole lotta love
最近の生活 2021年6月
- 土日の片方勉強に使う 正味3時間程度
- 平日は4日講義に 2時間40分
- 平日の1日は家族と過ごす
- 土日はあまり出かけず家の周辺が多い 区外に出ることがほとんどない
- 通勤は自転車片道20分から30分 送りは私、迎えは妻 私はベイバイク 妻は電チャリ 通勤退勤時エクササイズとして時計で記録
- 昼食もしくは夕食は弁当 昼食を外食した場合は弁当が夕食になる。事務所でご飯を食べにいくとタダ飯になる
- 講義に出席した場合、帰宅は22時半程度で、復路の運動時間は30分から40分程度になる
- 飲酒は週末のみ、通風の関係で従前より飲まず 日本酒2合程度まで 当然二日酔いもしなくなる
- 血圧と体重を測定しはじめる。iPhoneのヘルスケアに記録を連ねている
- 毎日講義に出席している関係で子供の教育や発育にリソースを割けていない。妻は学習に比較的協力的
- 学習リズムを未だに生活習慣に落とし込めていない 気分のムラが成果に現れがち
- 業務は閑散期だが、イレギュラーな仕事が舞い込んでいるため少し忙しめ、とはいえ週40時間以上は労働していない
- 年収は650万程と同年代公務員の平均値ほど、別の収入が180−200万ほどあるのでその分資産形成を急ぎたいところ プラス妻の収入がすこしばかりあるので、正味世帯収入は1000万に届きか届かないかというところ、調子が悪くなるとすぐ下がると思うので生活水準はあげたくない。持てる知識を総動員して中長期のタックスプランを発動中 同所得の人間よりも可処分所得を10%程度を増幅できる見込み 総資産は今年中に2000万を超える見込み 子供が18歳の頃にDC込みで4000万円程度まで利殖して学資と老後資金の確保をする計画 マネーライフプランは120歳まで立ててある
- なお計画は学習の成果がキャリア形成に結実しないケースを想定しており、子供のからの経済援助等もちろん無し 親への経済援助も最低限というプランで想定している 平均収入平均貯蓄額等はあまり実益のあるデータとは思えておらず、なるべく総資産を年代の中央値越えしていくという緩い目標
ブログ記述ルールに関わるもの 記録の頻度と密度と参照価値について
学術論文の価値指標としてimpact factorとうものがある
それは引用の平均回数から算出されると言われているが、自己の記録としてのブログの評価指標として相通ずる概念ではないかと考えた
濃度が低い記事になりがちな要素
- 駄文の書き捨て(更新頻度高すぎ)
- テーマ性に乏しい
- 冗長
端的に述べると、更新頻度が低い方が濃度が高い記述が生まれやすい
記事が埋もれず見返しやすい
参照可能性が高い 読み返して面白いブログになる
求めてるものを遠ざける性質
構ってほしいのとほっといてほしい適切な安定位置が時折ぶっ壊れて人を傷つけるやつになってる感がある
流行らないポエム
思い通りになる子供なんていない
自分の思い通りになる他人などいない
そういう当たり前のことを ことあるごとに忘れる
事業再構築補助金
コンサル領域の技能がなく成功報酬まで漕ぎ着けるノウハウが無かったので、定量的な分析手法は役に立った
何をどうして筋道立てていけばいいのかその思考がトレースできそうな説明方法だったので、付加価値付に活かしたい
今回コンサルからもトライ価値ありとお墨付きをもらったのでうまく成功に持っていきたい
正直これしきで根本的な問題が解決するわけではないのだけど、、前に進む
予算と採択件数と審査機関からの1日の審査時間の割り出し
公募要領との兼ね合いによる全体構成の練り出しの一件あたりの推定審査時間の見積もり
加点項目、FAQの精読
労働集約型産業で時給で3マン以上稼ぐためにはタスクの標準化によら工数の見積もりと、受注力から割り出す費用売上額などの算定が不可欠で、自分の時間単価をどれほどの付加価値指標として向上できるかが要なんだな
マジでタイムイズマネー
ユーラシア文化館で中華街160年の歴史展を見てくるなどした
さてさてさて....
学校からユーラシア文化館のパンフが配られていたっていうのと、チケとパンフがおいてあって少し気になっていた中華街の歴史展
正確には
公演: 企画展「横浜中華街・160年の軌跡 この街が、ふるさとだから」・常設展 - Yokohama Chinatown, 160 years history / Permanent Exhibition
会場: 横浜ユーラシア文化館 - Yokohama Museum of EurAsian Cultures
(以下「お母さん」)に話を聞いたらなんとお母さんの半生の記述と写真が展示されているというので行く後押しに
ムッスコが耐えかねてたので読み飛ばすように行ってきたけれどよかった
やはり中華街は横浜大空襲でまっさらに焼けていてお母さんが言ってた「あのころは山下町から桜木町の駅が見えた」という言葉が真実味を持って実感できた
あー焼けて何もなかったよwwみたいなノリで話すから軽いもんかと思ってたら
お母さんにとっての横浜大空襲って生きるか死ぬか+母親の片手吹っ飛んで使い物にならなくなった大事件じゃないですか、、大変でしたね
片手が吹っ飛んでたというお母さんのお母さんはもうなくなって10年くらいかな 旦那さんもなくなって20年くらいたつだろうか?
当のお母さん自身は、毎月元気に生きてるからあんまり気にしたことなかったけどいろいろ波乱万丈な人生を送っておられる
声大きくて元気なんだよね、
華僑三世とは知らなかったし、帰化したからにはお母さんが一世なのかと思っていた。なるほど洋裁屋の娘で、、、ってまじで中華街の華僑の伝統を地で行くような人じゃん
横浜中華街の華僑の最初の仕事は翻訳とか貿易商社とかだったんだけど、次第に洋裁と理髪と料理屋に収斂していくんだよね。→三把刀(さんばとう)
大震災を経て、空襲や戦災を経てなお異国に留まり続けることは容易ではなかっただろうね
言わんだけでそれなりに被差別対象になっただろうし
日本人と結婚して、きっと息子には日本人として生きてほしかったのだろうな
だからおそらく息子は中国語を話せないのだろう おそらく教えられなかったのだろう
お母さん自身、中国語の知識は繁体字の時代でストップしてるから簡体字はあまり読めないと言ってたが日本語話者としては日本人そのもののそれだし、中国からの旅行者がきたときは北京語も話していたので、それなりのバイリンガルなのだろう
それでいて子供らに中国語を教えなかったというのは、きっとお母さんに某方かの決断があったのだろう、、という想像
夫と結婚するまでに10年近くかかっていることことから色々考えるものがある
ほかにも菜香の曽さんとか江戸清の高橋さんとか、そうそうたるメンツがいたんだけど、お母さんってこのへんのメンツに顔を並べるレベルの古参だったんだなwww
さすが
客との付き合いが半世紀レベルとかざらにあるところがすごい
そういう土着あこがれるなあ(そういう軽い話でもないのだけど)
お母さんも日本人と結婚しなかったらどうなってたんだろうね
お母さん自身中華学校の出であることも知らなかったし、息子に理由もこれで少しはっきりしたかな
でも、子供の気持ちはきっと、華僑成分は多少なりともあったんだろうな
だから、孫たちは中華学校に行ったんだろう
そして孫たちの素行をみて、我が家も息子を中華学校に行かせようと思ったのだ
なんか、連綿としてる感じしない?(しない
今日展示を見てはっきりしたが、中華街は横浜の歴史の重要な一部で、その中でも中華学校は、今でこそ台湾系の横浜中華と大陸系の山手中華に分離しているものの、両者ともに中華街の無形文化財なのだなと
我ながらなかなか面白いところに子供をよこしたものだと思った
俺は日本人だし、アイデンティティも愛国心も日本にはあるものの、国というものをあまり信頼してないので、割とニュートラルな視線なんじゃないかという自負があるので、今後子供と我が家、そして我が家を取り巻く環境がどうなっていくのかきおくをのこして行ければと思う
そしてこのブログを見る資格があるあなたは もし俺が先に死んだら適当に「こんな漢字だったっぽいね」っていいうのを緩やかに頼むわ 謎
まじで謎
お母さん「まぁさぁ、中華街で100年くらいやってると色々あんのよ」
1781字(所要時間30分)